喪98二つの嘘

喪98を何度も読み返してるうちにおかしくなってきたので、後から見て赤面ものでも、書いてみます。

※以下全部妄想です。

喪98もここ最近の路線である従来のキャラクターを登場させながらも例のない展開を見せています。

私をおかしくさせたのは7ページめの今江先輩の「私も嘘ついちゃったけど私は本当は電車じゃなくバスなんだ」というセリフです。

私も嘘ついた、ってことは、暗黙のうちに吉田さんも嘘をついているという了解が二人の間にすでにあるってことですよね。

今江先輩も場合に応じて嘘ついちゃう人だというのも意外です。それでも誰かを根拠もなく嘘つき呼ばわりするようなキャラクターでしょうか。

6ページめのちら、ってところで察して、それはもちろん右肩で雨を受けている吉田さんを見るという流れは、今江先輩から吉田さんへ、智子に対する暖かさのリレーと捉えるのが良いんだと思います。

「ごめんね二人のこと勝手に誤解して 本当は凄い仲良しなのに」

仲良くないって、修学旅行で一緒だっただけって3ページめではっきり言ってるのに、と思えば、吉田さんを煽ってるなとも捉えられます、「すごい仲良し」って。すでに否定している吉田さんを不機嫌にさせてしまう言葉には違いありません。

もちろんすぐにそれを否定はしますが、次のコマで何気ない今江先輩の言葉に吉田さんは黙ったまま。

うん、あなたが待ってくれてるし、いいかな。

それに対しても、何も答えません。

ここの吉田さんの心境を私が勝手に推測してここに書くことはあまりにも無粋です。

そして本題の「私も」その言葉を残して今江先輩がその場を立ち去ります。二人とも嘘ついてるって暗黙を残して。

今江先輩がこの場に残るのも、また無粋、って感じたのかもしれないですね。これは筆が滑ってるかもしれません。

去っていく今江先輩を睨むような吉田さんの視線に込められた意味はいかようにも捉えることができます。

友情ってそこまで否定するべき内容でしょうか、って思うとおかしくなります。

智子との友情を否定すべき理由が吉田さんにあるんじゃないか、ってそういううがった見方が、私の吉田さんのキャラクターのデテールを深めていきます。

荻野先生語り

もこっちの二年生の担任、荻野先生について。

前回のポストで書きましたが、ワタモテとはもこっちが先入観をもって接していた世界を、リアルに実感させて、そんなに悪くない、むしろ楽しいこともあるんだなって知っていく、それが物語の骨組みの一つです。

荻野先生についても、教師という存在への先入観を破るって役目があるのかなって思っています。

誰でもそうですが、人格は家庭環境にも左右され組み上がっていきます。もこっちのママは、とても良いママだとは思いますが、もこっちとはちょっと距離が遠いように思ったりもします。

娘の趣味には踏み込まない、娘の学校生活にも踏み込まない。

実際はよく知っているのかもしれません。でも介入は最小限ってイメージがあります。

もちろん見たとおり生活には余裕のある黒木家。お年玉もたっぷりともらえます。

でも私が彼女のママなら、Amazonの箱が届くたびに気になるポイントが増えていき、ある程度閾値を超えたらリビングに呼んで諭します。

だってずっと部屋に閉じこもってパソコンの前から動かない理由がどんどんやってくるのですから、浪費を癖にしないためにもちょっと説明を求めるぐらいはします。

ただ多感な時期にそれをすると、親子仲がちょっとずつ悪くなるかも知れません。

もこっちはもこっちでスーパーエゴの強い人だとは思いますが、話が寄り道しすぎるので。

荻野先生のお話に戻ります。

荻野先生はその距離を一気に詰めてもこっちと接します。

いきなり職員室呼び出しですからね。あれにはびっくりです。

ワタモテの登場人物が、もこっちとの絶対距離を保つ舞台装置なのであれば、鬱要素作成要員です。

実際、中高生時代に抱いた教師に対する悪印象を拭えない人もいると思いますので、そういう人の気持ちをグサグサと刺す役割です。私がそうなので最低読者一人はそう感じてたことは確かです。

でも今は舞台装置であるキャラクターって見方は私にはないので、そんな風には思っていません。

むしろ智子を導く大きな役割を持つキャラクターではないか、そう思います。

実際二年生の学校体験に大きな関わりを持ちます。

野球の応援回(喪59)でももこっちに野球部の実際を、意図の有無はわかりませんが知らしめています。

そして言わずもがなな、修学旅行での関わり。

一瞬気がついてますよね、生まれて初めて教師らしいことをした、って。

それはもしかしたら、もこっちにとって生まれて初めて教師について肯定的に受け取ることができた、そういう風にも思えます。

修学旅行編黒木班を作ったのは荻野先生です。

もちろんもこっちの対人関係の勇気はあります。お節介すぎる介入ではありますが、荻野先生は被せるようにして介入を続けます。

今もこっちがクラスで孤立していないと感じているなら、確実に影響を与えた一人です。

三者面談の時、ママは落ち着きなく覗き見ようとするもこっちを、みっともないからと叱りこそすれ、落ち着きなさについてまでは踏み込もうとしません。

ネットカフェで覗き込もうとしたり、田村さんの喧嘩を盗み聞きしようとするところで、もこっちはそういうパーソナリティを持っていることは何度も示されています。今までもママはそれに気がついてはいても、自制を促すような事はなかったのかも知れません。

それからの上手くやってあげたわよ、ってウィンク攻勢はウザいですが、もこっちが根元さんの別の面を知るきっかけにもなっています。

もこっちの周囲で物事を起こすきっかけでもあり、お節介でもフォローはかかしません。

もこっちがどう思うかにかかわらず今後も踏み込んだ関わりを持ちそうです。

もこっちのなぜ誰も気付いてくれないのだ?って答えをすぐその場で出しています。

七夕の短冊で願いが叶うように助力してくれます。

もこっちを導く初めての大人として荻野先生は描かれているように私は思います。

もちろん、ありがとうございます荻野先生ってもこっちはぼんやりとだけ思うか、全く思わないかも知れないですよ。それがもこっちだし、それがワタモテです。

 

そう考えるとなぜもこっちのパパがはっきりと描かれないのか、という答えにも一歩近づいた気がします。

 

喪97を読んだ感想

もう3ポスト目になる喪97の感想文ですが、掲載されて以来なかなか衝撃がさらない一話だなと改めて思います。

読み返して思うのは、水玉トーンの根元さんが……って気持ちがやっぱり大きいですね。

根元さんといえば、背景に水玉のトーンがとっても似合うキャラクターで、天真爛漫なモブキャラってイメージでした。

やっぱりワタモテのモブは可愛くなければ、もこっちの魅力は引き立たないです。

でもよく読めばモブっていなかったなと思うのはおそ遅ながらに気がついたことで、ワタモテの作話は行き当たりばったりじゃないと主張しておきながら、鈍感だったって思います。

今回は学食回なんて今後呼ばれるかもしれないですね。

学食なんていい思い出はありません。学食で仲良くもないクラスメイトに相席を頼まれるなんて、気まずいし100%向こうにしかメリットないじゃないですか。そのうえで、何か友好的に話してきたなと思ったら、テスト対策にノート貸してくれとか、個人的な嫌な思い出さえ蘇ってきます。

学食回だなんて標準で地獄回、花火回(喪12)の図書館シーンなんかは正視できないので、地獄回と自分用語では呼んでいます、それになるはずでした。わざわざ罠の中に飛び込んでいくんじゃない、もこっち。

しかし、従来のワタモテを思わせる前半パートから、活き活きとした清田くんなどを描いている部分は、ものすごく好きです。

一応席を抑えててくれたって恩みたいなものはあるわけで、良く知った仲でない人向けのイージーモードでお話をしてくれるのですから。

羨んだり憎んだりしてきたが、今はそうする理由もない。こんなモノローグがあるなんて凄い。もともと知らなかった故に、羨んだり憎んだりしてただけ。

先入観で蔑んでいたことが、知ってみると以外と嫌なものじゃない、むしろ楽しかったりするのを、徐々に見出していくことが智子の旅路です。

いっそ彼らが憎めるぐらいにクソな性格ならいいのに、と。

あっ、相席にかこつけてノート貸せって言ったやつ、憎んだままでもよかったんだねもこっちって教えてもらう感じです。

その後アニメから声優の話になって、もこっちが機転を効かせるあたりは、まずい状況を作ったから回収しようというとり繕いが空回りせず、意外にうまくはまったというイメージ。

もこっちは胸の中では面倒くさがりでも、何らかほっとけないものはほっとけないって性格なので、それが空回ればギャグになるし、もこっちなりに挽回しようとしたんだなと思ったり。

例えば蝉の抜け殻付きのぬいぐるみを放り投げられる智貴くんにしてみれば、???でしょうが、何らか悪い気持ちでやっているわけでもなさそうだって想像するぐらいはできます。

それが空回りしなかったことが、イレギュラーを生んでいると思います。

最近の修学旅行編以来の流れで、声優志望は隠れオタクバレからの友達フラグが立った、って印象を読者に強く与えてます。ネモルートってやつですね。

それを完璧に逆手にとって、一瞬の真空地帯に冷たい空気が流れ込む感じ、最高です。

最初に私は根元さんは性格悪くないと思ってることは書いておきます。

あれだけのピンチで釘を刺していくだけって、とりあえず応急措置なのかもしれないですが、ゆうちゃんに触れてはいけない部分を触れられて「ぶち殺すぞ」って言葉が出てくるもこっちに比べればまともです。

あれだって読者には、もこっちとはこういう事を言い出すやつだという了解があるからギャグになるし、ゆうちゃんにもそのような了解、あるいは鈍感があるから大丈夫なんです。

今回根元さんには、なんにも了解もない状態だったのはもこっちも読者も同じです。それが真空ですね。

おたくである事を認めた上で釘をさす、でも夕闇の中待ってたって所には少し怒りを感じます。

もこっちの裏表ないバカさ加減は中学時代に小宮山さんに看破されていますが、根元さんは根元さんなりに裏表はあって、それはごく普通の高校生の姿だと思います。

現時点で腹黒いとか闇があるなんて、そんな言い方したらかわいそうなので、これからのお話での役割を期待しています。

今回のエピソードのきっかけとなった荻野先生のこととかはまた別の機会に書いてみたいです。

喪97後半2ページの違和感

前回に引き続き、私感シリーズです。

私はネモの態度を拒絶と考える理由編になります。

後半2ページはワタモテの中でもかなり異色な演出があって、私としては気持ち悪さを感じます。

イマジナリーラインというものがあります。

二者が対話するときに、二者間を結んだ想像上の線を引き、それを踏み越えてはいけない。受け取る側が正しく人物を判別できなくなって混乱してしまうのを防ぐ演出の基本の一つです。

簡単に言ってしまうと会話してるシーンで画面向かって右向きの人が、次にカットで左を向いていると別人に見えるからやめましょう、ってことです。

智子がネモに気がついたコマから、ネモが日陰の中に立つコマ、この二つのコマの間で超えている、と感じます。

この日陰の中で「や」とだけ発するネモを私が怖く感じる理由です。

そこからはイマジナリーラインは超えていないので、あえてわかりやすく演出意図が表に出ているかなと。

大きな変化を意図するときはあえてイマジナリーラインを超えて、物語の転換や、不気味さを演出することはよくあります。攻守の逆転などでもよく使われます。

ただ、厳密に線を引いてまでは検証はしていないので、単なる思い違いかもしれません。

影の演出についても、谷川ニコ先生が黒ベタを背景に使われることは少ないので、これもまたイレギュラーを感じます。

その強烈なまでの使い方は、ナンバーガールのてるてる坊主回のホラー演出に見られます。

影などの表現は、普段はソフトです。光線の入射なども多用されていますから、演出としての光は前々から薄っすらと感じていたことです。

これらから後半2ページについては、影の中から現れたネモが、普段の明るく振る舞うネモへ戻っていく、という風に捉えます。

色々書いたわりには、ありきたりな読み方かもしれません。

単純に怖い感じでした、と書けばいいところを、ややこしい言葉で書き直しているだけですね。

この読みの正誤は今後明らかになるって思います。

すごく楽しみです。

喪97の刺さり方私感

刺さり方、についてだけ。

これはオチがないので、次回か、何回か持ち越しエピソードのお話になるのかと思います。

今回は徹底して拒絶されるお話です。

あいつら、の中で歩み寄れそうなネモに対して歩み寄った結果、拒絶されて、ネモをあいつらの中に返すって、それがもこっちの心境になると思います。

前半部でもぼんやりと田村さんに拒絶られてるのかなと思ったりしてるのも、お話の流れの作り方なのかなと。

序盤に初期のようなギャグパートが集中してるのと、かりそめに数人に受け入れられて、拒絶されるってコントラストが強い印象です。

単行本でしか読んでないのですが、例えば願書回の終わり方で翌週を待つってどんな気持ちだったのかわからないのが勿体無いです。

あれは単体で読んでいつも通りのバカと思うか、さすがにちょっと今回ダメだって意見で別れそうかなと。

もこっちの帰りを待ち構えつつ、拒絶ったキャラクターって他にいないと思います。

そういうふうに捉えるなら、ぐっさりと刺された気持ちになるんじゃないでしょうか、異色回って思いました。

繋ぐお話だと思うので、ネモともこっちのお話に今それほど多くの感想を持たないでおこうって思います。